小説家(そしてランナー)村上春樹さんの心に響く名言13選

『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹 ランニング全般
スポンサーリンク

フルマラソンを走るモチベーションを見失ったことがありませんか。
最初は目標タイムを決めて少しずつレベルアップできたとしても、10回も走ると自己ベスト更新もそう簡単にはいかなくなります。

そんなときに背中を押してくれた、小説家でランナーの村上春樹さんの言葉をご紹介します。

この記事を書いている私は、村上春樹さんの大ファンのサブ4ランナーです。

村上さんの言葉を励みに、フルマラソンを17回完走しました。

スポンサーリンク

小説家でランナー、村上春樹さんの心に響く名言13選

『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹

①フルマラソンを16回も走れば文体が変わる

フルマラソンを何度か経験すると、目標をどう立てようかと考えるときがあります。最初はサブ4、サブ3.5とタイムを目標にしてクリアしていきましたが、トレーニング期間が長くなるにつれて年をとっているということですから、毎回記録を更新することが難しくなります。

そんなときにふと、なぜフルマラソンのレースを走るのか、疑問に感じてしまいます。
苦しいのに、辛いのに、なぜ走り続けるのか。もともと走るのは好きじゃなかったし、もうフルはやめてしまおうかな。

フルマラソンを走り始めて5年くらい経ち、モチベーションが落ちかけたときに出会ったのが村上春樹さんの言葉でした。
「フルマラソンを16回も走れば文体だって変わるさ」

正しくは、私がその言葉を直接読んだわけではなく、角田光代さんのコメントで知りました。

「村上春樹さんが、フルマラソンを16回も走れば文体だって変わるさ、と雑誌に書かれていた。自分では走ることと書くことへの影響をまだ感じたことがないので、それを確かめてみたい」という角田光代さん。

角田光代さんと平井理央さんの公開対談「これが私の走る道」

文体というほど確立されたものがあるわけではないけれど、私も文章を書くことを仕事にしているので、どういうことだろうと興味を持ち、まず16回まではフルを走ってみようと決めたのでした。

生活が、身体が、意識が変われば、文体も変わる?

16回目のフルマラソンは2018年11月の福岡マラソンでした。

それから1年半、特に自分では文体が変わったとは思いませんが、年に2回フルマラソンのレースをコンスタントにサブ4で走ることで、生活自体が変化したと感じます。走る時間が当たり前のように生活に組み入れられ、旅先でもランニングを楽しみます。

走る予定なのに気分が乗らず、今日は走るのをやめちゃうおうかなというときは、1時間のランニングを日課とされている村上春樹さんがおっしゃったという「僕の1日は23時間しかない」という言葉を思いおこし、「私も走ろう!」 と思います。

もちろん、走ることによって身体にも変化がありました。体重自体はいったん減ってからそう変わりませんが、筋肉がついたし、風邪をひきにくくなって健康になったように思います。体力、持久力もつきました。

食生活の見直しや規則正しい生活時間など、自分では意識しなくても、そういった変化が文体にも及んでいるかもしれません。

16回の根拠を知りたい気もしますが、たとえ文体が変わっていないとしても、フルマラソンを16回完走するという目標を達成できてよかったと感じています。

スポンサーリンク

『走ることについて語るときに僕の語ること』名言10選

『走ることについて語るときに僕の語ること』

村上春樹さんの小説は大好きで、デビュー作からずっと楽しみに読んできました。

「こんなことってありなんだ!」というのがデビュー作、『風の歌を聴け』を読んだ率直な感想です。

柔らかくて素直な洒落た文体と、ぐいぐいと物語世界に引き込む力、自分にも書けそうな気にさせてくれるけれど、絶対に真似できない圧倒的な村上ワールドに惹かれました。

『走ることについて語るときに僕の語ること』は、33歳でランナーとしての生活を開始し、小説家としての本格的な出発点に立った村上春樹さんのランニングという行為を軸にした一種の「メモワール」です。

初マラソンの回想やニューヨークシティマラソンの準備、フルマラソンから100キロウルトラマラソン、トライアスロン、やがて訪れる「ランナーズ・ブルー」など、小説の執筆と走ることの相関性について、作家(そしてランナー)の村上春樹さんの想いが綴られています。

2005年の夏から書き始めて2006年の秋に書き終え、2007年10月15日に文藝春秋より刊行されました。世界25か国語で翻訳されています。

村上さんの小説は次々と読んでいましたが、この本を読まなかったのは刊行当時、単に私がランナーではなかったからです。2011年に走り始めるまで、ランニングや駅伝など、走ることにまったく興味がありませんでした。

最近になって手にした『走ることについて語るときに僕の語ること』には、心に響く名言が散りばめられていて、ランナー必読です。

②「もう駄目」かどうかは本人の裁量

Pain is inevitable, Suffering is optional. それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。
たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられていることである。

大迫傑さんの『走って、悩んで、見つけたこと。』(文藝春秋)にも、 「きついと感じたときは頭と体を別々に考える。きついと感じるのは脳だから、きつさを冷静に分析すると意外に対応できる」という同じようなくだりがあります。

③走り終えて自分に誇りが持てるかどうか

走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。
同じことが仕事についても言える。小説家という職業に-少なくとも僕にとってはということだけれど-勝ち負けはない。(中略)書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事になってくるし、それは簡単には言い訳のきかないことだ。

個人的な勝ち負けではなく、自分の目標にどうアプローチできたかで満足感や達成度が違いますよね。

④勝つべき相手がいるとすれば、過去の自分自身

僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、達成基準のバーを少しずつ高く上げ、それをクリアすることによって、自分を高めていった。少なくとも高めようと志し、そのために日々努めていた。(中略)
昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。

バーを上げていけるうちはいいのですが、村上さんも40代半ばを迎えてから、レースのタイムが伸びなくなるという壁にぶち当たります。

⑤それなりに年を取ったのだし、時間は取り分をとっていく

レースのタイムが伸びなくなっても。それはまあ仕方あるまい、走りながらふとそう考える。僕はそれなりに年を取ったのだし、時間は取り分をとっていく。誰のせいでもない。それがゲームのルールなのだ。川が外海に向かって流れ続けるのと同じことだ。

そう考えて、私も気が楽になりました。

⑥丈夫なランナーであることだけは間違いない

ストレッチなんてろくにやらないのだが、故障ひとつ、怪我ひとつ、病気ひとつしたことがない。優れたランナーではまったくないけれど、丈夫なランナーであることだけは間違いない。僕が誇りにできる数少ない自己資質のひとつである。

病気ひとつしたことがない、ということはありませんが、私も同じタイプです。脚が痛くて走れなかったという時期がほぼありません。

スピード型ではなくスタミナ型のランナーと自分を説明することが多かったのですが、「丈夫なランナー」という表現がしっくりきます。

⑦走るのをやめる理由なら大型トラックいっぱいぶんはある

日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

やらない理由は山のようにある。まったく同感です。

⑧個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させる

同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。

走ること、あるいは歩くことは、生き生きと生きるために必要不可欠だと思います。

⑨ルールを一度でも破ったら、更にたくさん破ることになる

どんなに走るスピードが落ちたとしても、歩くわけにはいかない。それがルールだ。もし自分が決めたルールを一度でも破ったら、この先更にたくさんのルールを破ることになるだろうし、そうなったら、このレースを完走することはおそらくむずかしくなる。

サロマ湖100キロウルトラマラソンを走っているとき、村上さんは「僕は人間ではない。一個の純粋な機械だ」と自分に言い聞かせ、一度も歩かなかったそうです。

「僕はなにも歩くためにこのレースに参加したんじゃない。走るために参加したのだ」、強い精神力です。村上さんのストイックな哲学に憧れます。

⑩ある日突然、好きで道路を走り始めた

だって「ランナーになってくれませんか」と誰かに頼まれて、道路を走り始めたわけではないのだ。誰かに「小説家になってください」と頼まれて、小説を書き始めたわけではないのと同じように。ある日突然、僕は好きで小説を書き始めた。そしてある日突然、好きで道路を走り始めた。何によらず、ただ好きなことを、自分のやりたいようにやって生きてきた。

ニューヨークシティマラソン、ボストンマラソンと満足のいくタイムで完走できなかった村上さんは「よし、今回はうまく走れた」という感触を取り戻せるまで、めげることなくフルを走り続けると断言します。

よぼよぼになっても身体が許す限りフルマラソン完走という目標に向かって努力を続けていくことが、彼の生まれつきの性格(ネイチャー)なのです。痺れますね。

⑪少なくとも最後まで歩かなかった

もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるなら、このように刻んでもらいたいと思う。

村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20**
少なくとも最後まで歩かなかった

今のところ、それが僕の望んでいることだ。

スポンサーリンク

アイアンマン選手のお気に入りとしてOnで紹介

What I Talk About When I Talk About Running
On公式サイトより

デザインやテクノロジーを評価する数々の国際的な賞に輝くスイスブランドOn(オン)の公式サイトでは、「ランナーにおすすめの15冊」として、ランニング後のリカバリータイムやダウンタイム中にランナーのマインドセットを維持するのに最適な書籍が紹介されています。

そのうちの1冊が村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』(What I Talk About When I Talk About Running)です。 

世界的に有名な作家、村上春樹が彼らしい穏やかに流れる文体で、初心者ランナーからウルトラランナー、そしてトライアスロン選手へと成長する自分自身の体験を自叙伝のように綴り、その途中で感じた創造性とランニングの関係性に対するユニークな洞察を書き留めています。この本は2018年のアイアンマン世界選手権で2位に輝いたバート・エアノーツ選手のお気に入りの一冊です。

On公式サイトより
スポンサーリンク

「そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう」の名言2選

<100人が語るRUN!特集> 村上春樹へのQ&A 「そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう」Number Webより
<100人が語るRUN!特集> 村上春樹へのQ&A 「そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう」Number Webより

「Number Do」の第2弾「100人が語るRUN!」に掲載された「村上春樹へのQ&A 『そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう』」(2011年)にも印象的な言葉があります。

⑫最後の400mを全力疾走する

僕がいつも決めてやっているのは、最後の400mを全力疾走することです。どんなきついレースでも、どんなコンディションでも、そのときに出せる最大のスピードで全力疾走します。それは一種の礼儀であり美学だと思っているから。だから、へとへとになったら、すこし抜きつつ、でも最後の400m分だけの力は蓄えておく。最初から最後まで美学を貫こうと思ってももたないから、これだけはやろうという部分突破的な美学を作っておくんですね。

きつくなったマラソン後半の乗り越え方を質問されたときの答え。

私もレース本番で最後の400mになったときにはこのコメントを思い出し、そのとき持てる力で全力疾走するようにしています。

⑬ある時期、年代のときは、毎日まじめに走らなければいけない

年がら年中、毎日走らなければいけないということはないです。毎日しっかり走らなければいけない年齢もあるし、走ろうと思ったときに走ればいいという年齢もある。ただある時期、ある年代のときは、毎日本当にまじめに走らなければいけない。それ以外のときは、自分の生活ペースに応じてそれなりに走ればいいと思います。走り込むべき年代は人それぞれ違うけど、「今は走らなくちゃ」とはっきり決意するときがあるはず。そういうときは無理しても走らないといけない。

忙しい時期のモチベーションを尋ねられたときへの答え。

「今は走らなくちゃ」とはっきり決意したときが私にもあって、そのときはそうとう無理して走ったので、ものすごく共感できます。

ちなみに大迫傑さんは前述の著書のなかで、「練習したくない日があるか」という問いに「したい、したくないではなくて、必要か必要じゃないかで考えています」と答えられていました。

ボストンマラソンを目指した理由の一つは、村上さんが印象に残っているレースとして「ボストンに勝る大会はない」と回答されていたからです。

「そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう」ボストンマラソン
<100人が語るRUN!特集> 村上春樹へのQ&A 「そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう」Number Webより

まとめ

フルマラソンを17回走っても、おそらく文体は変わっていないかもしれませんが、村上さんの言葉は私を前進させてくれました。

ランニングを始めて9年、「走る」ということが生活のなかで大きなウエイトを占めるようになっています。

いまはベストを狙うのではなく、サブ4を継続すること、世界6大マラソンを制覇することが目標です。村上さんおすすめのボストンマラソンを、バーチャルではなく実際に走れる日がくるのが楽しみです。

ゴールにたどり着いたときにはいつも「終わった〜」と安堵感が広がり、次のレースのことなど考えられませんが、また次の年もフルのスタート地点に立っています。

やれやれ。

タイトルとURLをコピーしました